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2014/3/22 HaTiDORi @仙台ゼロベース
by hatidori-peace

『HaTiDORi』ができるまで No,1

「HaTiDORi」を主催するみずほと申します☆

映像や市民団体の皆さんのお話で原発や放射能、福島の現状について学び、私たちにできることを考え話し合うこのイベント!

毎回足を運んでくださっている方も、今回初めましての方もいるとおもうので、
このブログでは「HaTiDORi」のできるまでについてお話したいと思います。

2011年3月11日、東日本大震災が起きるまで私は「原子力発電所」というものについて何の知識も関心もありませんでした。

震災後の12日、宮城県のすぐ隣にある福島県の福島第一原子力発電所が水素爆発。
翌々日、友人からチェーンメールが来ました。
「原発が爆発したから、雨や雪が降ったら絶対当たっちゃだめです。周りのひとにも教えてあげてください。」
不安になり他の友人に話したら「それ嘘らしいから回しちゃだめだよ!」
「なんだ、今いっぱい出回っているデマのメールか」そう思って信じることもなく削除。
その頃震災に関するデマのメールやツイートが出回っていたため、それのひとつだと思ったのです。


その後仙台市内が電気、ガス、水道とどんどん復旧していき、自分の生活が元の生活に戻るにつれて、沿岸部の津波被害のあったみなさんの力になれればと思い、ダンス仲間(わたしはいわゆるストリートダンスが趣味で、仲間とイベントで踊ったりしています)と一緒に支援活動を始めました。
全国から物資や支援金を募って避難所を回ったり、炊き出しのお手伝いをする日々。
毎日が必死であまり周りが見えず、支援活動に没頭していました。

そんなある日、福島の子供のいる友人のブログを目にしました。

「ぼくはふくしまになんのきぼうももてなくなってしまいました。
ほんとうにほんとうに、くやしい」

福島生まれの福島育ち、音楽を愛し仲間と楽器を鳴らすことが大好きな友人。
福島を、福島のひとをとても愛していたと思います。
目に見えない放射能におびえ、何の確かな情報もないなか福島で子供を守り暮らしていく事が、彼には不安でつらすぎて、どうしてこんなことになってしまったのかと悔しかったのでしょう。
一家で沖縄のほうへ引っ越すことを決意したときのブログでした。

私は、ただただショックでした。
友人がこんな思いをしているのに、今まで見過ごして来たなんて。
宮城の隣にある福島でこんな思いをしているひとがたくさんいる。
どうしてこんなことに気づかなかったのだろう、と。

「放射能」って、「原発」って一体なんなのだろう。
仙台でこれについて学ぶ機会はないのだろうか。
twitterで検索して、一番最初に目に留まったのが6月に開催された鎌仲ひとみ監督の「ヒバクシャ」という映画の上映会でした。

ひとりで上映会に出向き、そこで目にしたものは衝撃的でした。
「被ばく」
世界のいろんなところで、そして日本は原爆の落とされた広島長崎で、これで苦しみ健やかに生きていくことをおびやかされている人たちがいたのです。

映画の中で、アメリカからの経済制裁を受け国民生活を徹底的に破壊されたイラクの映像があった。
「見てみろ!
経済制裁でお金がなくてわたしはこんなボロボロの服を着て、ワクチンを打てば助かる子供たちもどんどん死んでいく!
それなのにどうして日本は何もしてくれないんだ!」
破れた服を着たおじさんがすごい剣幕でまくしたてる。
イラクでは、湾岸戦争時の劣化ウラン弾によって被ばくした子供たちが次々白血病になるが、治療をすることができずどんどん亡くなっていく。

私はそのシーンを見た時、もしかしたらわたしたち宮城の人間は福島の人たちに
「こんなに福島は苦しんでいるのに、どうして宮城のひとたちは何もしてくれないんだ!」
そう言われるのかもしれないと思ったのです。

私は、隣県の福島のために何も出来ていない。それどころか何も知らなかったのです。

あまりの衝撃に涙が出ました。


そこから様々な原発に関する本を読み、肥田舜太郎さんや小出裕章さんなどの講演会へ参加し、まず知る事から始めました。
福島のひとたちのお話を聞く機会も何度かありました。

そうして固まった私の意見は、「原発はいらない」でした。

「原発」で使われている「核」から出る「放射能」は、わたしたちから健やかで安全な暮らしを奪います。
今思えば、あの震災直後のメールは真実だったのです。
放射性物質を含んだ雨や雪を浴びてはいけない、そんなことがわからないくらいみんなが無知だったのです。

そして「体」そのものを壊し病気を引き起こしたりするだけではなく「心」も壊します。
今現在も福島には愛する故郷や自宅に帰る事の出来なくなった人たちがいて、とどまることを選んだ人たちも目に見えない放射能におびえながら暮らしている。
そして福島だけでなく、原発立地地域や建設予定地では、「反対」「賛成」に分かれて同じ地域でずっと暮らしを紡いで来た住民同士が仲違いをしている。

苦しんでいるひとがいるということ、それだけでもう原発はいけないと思うのです。

他にもいろいろ問題はあるのでそれを理由に原発反対だというひともいるだろうし、
過疎地域においては働く場所として原発が必要だ、経済のことを考えるとなくてはならない、そういった意見もあります。
自分なりの理由を持って「賛成」というのは、その人個人の思想の自由だし仕方のないことです。 

でも、一番いけないのは無関心なのではないでしょうか。
同じ日本で苦しんでいる人がいるなら、それを見過ごすわけにはいかないし、明日は我が身です。


そして気づいたのは、講演会やデモに参加しても年配の方がほとんどで若い人の姿は見られないということ。
友人同士で、そのような話をするのもタブーのような雰囲気です。

おじいさんおばあさんが「孫の為に」と一生懸命声をあげているにも関わらず。

これではいけない、変えなくては。

もしかしたら関心があっても踏み出せずにいる人だっているかもしれない。
福島のために何かしたいけど、どうしたらいいかわからず思い悩んでいる人もいるかもしれない。

少しでもそのような人たちと知識を共有し意見を交わし合いたい、
そして福島のひとたち、原発でもし苦しんでいる人たちが日本のどこかにいるならば何か出来る事を探したい。
これからの日本の未来を、なんとかしていい方向に変えていきたい。

これがわたしが「HaTiDORi」に向けて動き出したきっかけです。

次回は、実際に「HaTiDORi」開催にいたるまでをお話ししたいと思います。

長文、お付き合いありがとうございます!
by hatidori-peace | 2013-01-10 21:12